第1514回 環境工学Ⅱ 2011年10月11日 「会釈は相手を認知しているというサイン」

先週は講義中に席を立つ学生がいたので、講義の初めに、
講義中に教室から出て行ってはいけないと話した。
そのとき、トイレに行くときは教師に軽く会釈しようと伝えたので、
会釈の効果について話すことにした。

欧米でもアジアでも外国ではアイコンタクトが大切だ。
相手の目をまっすぐみつめて軽くほほえむ。
相手もそれに答え、こちらの目をみて軽くほほえむ。
視線を合わせることで「自分はあなたの存在を認知しています。よろしく」
という無言のサインを互いに送っているのだ。

日本人にはアイコンタクトの習慣はないが、それに似た習慣がある。
軽く頭を下げる「会釈」だ。
会釈も、相手の存在を認知していることを示す重要なサインだ。
ところが、大学の廊下などで面識のある教師とすれ違っても
会釈しない学生が意外と多い。そういう学生でも向かい合って話をすると、
それなりに礼儀正しく言葉使いも丁寧だったりするので、教師も気にしない。

でも、社会に出たら目上の人に会釈するのは常識中の常識だ。
別の言い方をすると、目下の社員が目上の社員に会釈をしないのは、
「自分にはあなたの存在など関係ありません」という強烈なサインを
発していることになるのだ。

会釈しないと、目上の社員は自分が無視されていると思ってしまう。
わざと会釈しないのなら、それは自己責任でいい。
しかし、会釈しないことで周囲にそのような強烈なサインを出していることに
本人がまったく気づいていないとしたら‥‥。

会釈するのと、会釈しないは全然違う。
このメッセージ、社会に出たら忘れずに!