海外研修企画の経緯

芝浦工業大学教授  三 浦 昌 生

 Dr.Abdul Azeez Kadar Hamsa氏(以下アジーズ氏)は私が1995年にシンガポールで開催された国際会議で知り合った研究者である。1999年に私が受け入れ研究者となりアジーズ氏を外国人特別研究員として本学に迎える申請書を日本学術振興会に提出したところ、この申請が採択された。そこで、アジーズ氏は日本学術振興会外国人特別研究員として2000年3月から2001年9月まで本学に在籍し、私と共同研究を行った。アジーズ氏は帰国後、クアラルンプール市内の総合大学であるマレーシア国際イスラム大学(IIUM)に助教授として復職したが、私がアジーズ氏の大学を訪ねることを氏からは切望されていた。
 2002年4月に私はアジーズ氏にメールを書き、2002年9月に研究室の大学院生を連れて一週間ほどIIUMを訪ね、氏の研究室の学生と市内を回ったりスポーツをしたりする合同合宿をしたい旨を伝えた(私はそのメールでこの合宿を`Miura & Azeez’s Summer Seminar'と名付けたが、これが失敗であったことに後で気がつくことになる)。氏からはすぐに返事が来た。もちろん大賛成。企画運営を進めるため学科の学生で委員会を編成したという。数日一緒に過ごそうというだけの単なる合同合宿なのに少し大げさではないかと思ったが、雑事に紛れて深く考えなかった。

 7月末にIIUMの委員会から久しぶりにメールが来た。そのメールを開けて研究室はパニック状態に陥った。メールには「環境計画に関するセミナーのプログラムが決定した。これには学内の学生、教員に加え他大学の教員や政府関係者も参加する。10日以内に三浦研究室の大学院生が発表する研究テーマと概要を送ってほしい」と書かれ、その上「マレーシア国内からの参加者のために、三浦研究室の学生は日本の歌や踊りなどを是非披露してほしい」という注文までついていた。私は改めて辞書を引いた。合同合宿なら`summer camp'とすべきだったのだ。`summer seminar'は研究発表会であり、文字通りセミナーの企画が着々と進行していたのである。
 最初は話が違うとささやかな抵抗を試みた。しかし、アジーズ氏は学内はもちろんのこと学外の関係者まで話を通してしまっており、このセミナー自体をキャンセルすることは不可能である。セミナーは予定通り開催することにして、もし三浦研究室がこれへの参加を辞退したらどうなるか。アジーズ氏ははっきりとは言わないが、彼が大学での立場を失うこともあり得るだろう。そうした事情が判明した8月中旬、私は幹事役に指名していた修士課程1年の西村君に、大学院生全員で相談するよう伝えた。

 私の危惧は学生が受けるプレッシャーであった。研究室では研究成果を発表するため毎年、日本建築学会の大会に出かけるのが恒例であるが、その旅行中、3日間の大会日程のうち初日に早々と発表を済ませた学生が晴々とした顔をして遊んでいるのと対照的に、3日目に発表する学生は終始気が重そうに過ごしている。そうした姿を見ていると、もしセミナーでの発表を引き受けたら、クアラルンプール滞在の終盤に予定されている発表がプレッシャーとなり、誰も旅行を楽しめなくなってしまうのではないかということを懸念したのである。

 全員で話し合った結果を西村君が報告に来た。「マレーシアに行く以上は普通の個人旅行ではできないことに挑戦したい。セミナーで発表する。出発までに英語の論文も作成して向こうに送る。発表が旅行中にプレッシャーとなってもかまわない」と皆で決めたという。それなりに状況を分析し、ひるむ気持ちを抑えながらのけなげな結論である。私としてはそれを尊重して前に進むしかない。それでは発表テーマをどうするか。大学院生は8月上旬に金沢市で開催された学会大会で全員が発表したばかりなので、個々に発表できる成果を既に持ってはいる。しかし、バラバラのテーマで各自がこれから自分の論文を英訳し発表にまで持っていく作業を出発までの限られた時間でこなせるだろうか。

 そこで西村君がすばらしいアイデアを出した。海外での発表経験の多い私と久保田君は別にして、大学院生6名は昨年度から研究室で重点的に取り組んでいる「住宅地実測に基づく住環境マップづくり」の研究を分担して発表するのはどうだろうかというのである。実際、分担すれば作業の負担は軽くなるし、英訳などの作業でもお互いに助け合える。それにセミナーでバラバラのテーマで時間を細切れに使うよりも、統一テーマで長時間発表した方が観客へのインパクトは大きいに違いない。それで行こう。日本の歌や踊りもどうせやるならきちんと練習し、本番は照れずに堂々とやってほしいと学生に伝えた。
 さっそくその方針を向こうの委員会に伝え、研究室はすぐに発表準備に取りかかった。そうやって完成したのがこの報告書に収録された論文である。この報告書には現地での発表の様子も生き生きとした文章で綴られている。大学院生による発表に対しては、そのセッションの座長を務めたIIUMの建築環境学部長Dr.Che Musa Che Omar氏が強い関心を持ち「我が国でも必要な研究だ。クアラルンプールでこの研究を一緒にやらないか」との具体的な提案がなされた。私は即座にその提案に賛同した。来年は大学院生がIIUMに長期滞在し、クアラルンプール市内の住宅地の住環境実測を試みる。私は研究のフィールドをいつか東南アジアに発展させ、東南アジアの都市環境改善に取り組みたいと望んでいたが、ついにそのチャンスが到来したのである。

 このセミナーはIIUM建築環境学部都市計画学科の4年生が企画、準備、運営のすべてを行った。彼らはクアラルンプール市長に直接掛け合って開会式でスピーチをしてもらうという快挙も成し遂げた。私はマレーシアに滞在中、IIUMの多くの学生達に問いかけたり助言したりして過ごした。それは私にとってこよなく幸せな時間であり、国を問わず学生達と真摯に対応することに大きな歓びを感じることができた。
 この報告書は、記憶が薄れないうちに全てを書き留めておくこと、そして来年以降の研究室海外研修の参考とすることを目的に参加者全員が分担して作成した。10年後、20年後に読み返せば大学院生当時の自分の貴重な記録であることに気付くだろう。
 この海外研修の実施をご承認いただいた江崎学長、上田システム工学部長、水口環境システム学科主任教授、また、時間を惜しまずいろいろな面でご協力いただいたマレーシア国際イスラム大学のChe Omar建築環境学部長をはじめ教員の皆様、セミナーを企画・運営した学生諸君に感謝の意を表します。また、末筆となりましたが、この海外研修へのご子息の参加をご承諾いただき暖かく見守っていただいたご家族の皆様に深く感謝いたします。